『土曜ワイルド劇場 明智小誤郎と蒼影(そうえい)の美女、血煙の断末魔!』~第4話
第4話「凍りつく温室」
仮面舞踏会の惨劇から一夜。一晩中荒れた嵐は去り、館の廊下は冷たい朝の光に照らされていたが、どこか湿った空気が漂い、昨夜の恐怖の余韻を残していた。
小誤郎は大広間の残骸を振り返りながら、深く考え込む。
「昨夜の事件……あれもまた次の殺人への序章にすぎないというのか?!」
金剛力松が神経質に声を上げる。
「序章なら、まずはお茶でもどうですか!」
小誤郎が慌ててお盆を持ち出すが、紅茶は床にこぼれ、濡れた大理石の上で広がっていった。
館の主人、黒川男爵は大仰に肩を揺らす。
「ふふふ、恐怖と美の饗宴よ! 今宵は舞踏の夜だ!」
「舞踏会の前に、まず犯人探しの練習を!」
カレンが鼻息荒く提案するが、誰も賛同しない。
「そういえば、博士は今朝まだ姿を見せていないな」
金剛力松が不穏な声で言った。
「え……いませんね?!」
カレンもあたりを見回すが、白石博士の姿はどこにもない。
「まさか……誰かに姿を見えないようにされているのでは……」
小誤郎は大げさに目を見開き、手を広げる。
「つまり、博士の失踪も、何か大きな陰謀の序章かもしれません!」
その場に立ち尽くす小誤郎は、頭の中で昨夜の「断末魔ソナタ」の惨劇を反芻しながら、眉間に深い皺を寄せる。
「うーん……あの赤いリボン、まだ何かを示しているに違いない!」
「まだ探偵ごっこを続けるつもりか……」
金剛力松は腕を組み、冷ややかに小誤郎を見つめる。
「しかし、この館は……昨夜よりも不気味になったな」
「ええ、空気が重すぎます……」
カレンは肩をすくめ、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
そんな中、青井澄恵は黒いドレスを翻し、廊下の奥で一人静かに立っていた。
背中を大胆に露わにしたその姿は、朝日の柔らかな光に照らされてもなお、冷たく妖艶な気配を漂わせている。
指先でドレスの裾をそっと押さえ、彼女は冷たい視線で廊下の先を見つめていた。
「……何も言わなくても、すべてがわかる」
澄恵の声は低く、しかし館内に静かに響く。
小誤郎はその視線に気づき、慌てて近づく。
「澄恵さん……その、美しさは……まさか犯人の心理を誘導しているのでは!」
「いや、推理に関係ないだろ!」
カレンが即座に突っ込む。
黒川男爵は深く息をつき、手を組んで天井を仰ぐ。
「館の奥には、何か……異様な空気が漂っているようだな……」
「異様というより、不穏すぎます!」
金剛力松が少し震える声で答える。
「このままでは、次の犠牲者が出てもおかしくない……」
そのとき、メイドの銀子が小走りにやって来た。顔色は青く、声もかすかに震えている。
「旦那様……皆様……温室が……。今朝、花の手入れをしようと近づいたのですが、中がいつもと違って……とても冷たくて、怖くて……どうしても中へ入れませんでした」
「温室が?」
男爵が眉をひそめる。
「ええ……まるで、息をするのもためらわれるような気配で……」
銀子は言葉を選ぶようにして首を振る。
一行は顔を見合わせ、重苦しい沈黙のあと、誰からともなく歩を進めた。
やがて一行は館の奥にある温室に辿り着いた。
普段は温かく湿った空間のはずだが、今朝は異様に冷え、ガラスの壁には白い結露が霜のように張り付いている。
土の匂いと植物の香りが混ざり合い、いつもとは違う、不吉な静寂が広がっていた。
「……寒いですね」
カレンが肩をすくめる。
「まるで……氷の館の中に迷い込んだようです」
小誤郎は周囲を見渡し、氷の結晶のような模様を指さす。
「ここにも何か……手掛かりが……!」
「推理というよりギャグになってますよ、あなた」
金剛力松が呆れた声を上げる。
澄恵はゆっくりと前に進み、温室の奥に置かれた氷の花に指先を触れる。
白い指先が結晶に触れるたび、月光を透かして冷たく光り、まるで氷の中に秘められた真実を確かめるかのようだった。
「真実はいつも冷たい……」
その声は甘く、官能的で、しかし凛として冷たかった。
小誤郎は氷の花に顔を近づけ、鼻先で香りを嗅ぎながら推理を始める。
「うーん……この冷たさ、犯人の心理状態が……あ、いや、まだわからない……!」
「だから心理状態とか言わないで!」
カレンが思わず叫ぶ。
その時、鉢植えの影の中で、微かに異質な光沢が目に入った。
小誤郎が屈み込み、懐中電灯で照らす。
「こ、これは……!」
白い息を吐きながら、全員が凍りついた。
氷の中に閉じ込められた仮面をつけた死体――四人目の犠牲者がそこに横たわっていた。
手足は硬直し、首には赤いリボンがきつく巻かれている。
襟元には血の滲んだ跡があり、氷に反射する蝋燭の光が無惨さを浮かび上がらせた。
「ひっ……!」
誰かが悲鳴を上げた。仮面の一部がずれている。苦悶に歪んだ顔が氷の中から露わになる。
「ひっ……! こ、これは……博士……白石博士ではないですか!」
カレンが思わず声をあげた。
「な、なんと……博士が……こんな……」
金剛力松も凍りついた表情で息を漏らす。
小誤郎は両手を空に向け、指を震わせながら叫ぶ。
「わかったぞ!犯人は……この氷!つまり冷気の逆襲だ!」
「いやいや、だから気温の話じゃない!」
金剛力松が思わず突っ込み、館全体が笑いと恐怖の入り混じった空気に包まれる。
カレンは両手を腰に当て、呆れた表情で小誤郎を睨む。
「もう、珍推理は置いといて……まずは犯人を見極めなさい!」
澄恵は氷の花にそっと触れたまま、静かに死体を見つめる。
白い指先が氷の結晶をなぞると、冷たく光る表面に赤黒い血が妖しく反射する。
「……真実はいつも冷たい」
その声は柔らかく、しかし館全体を凛とした空気で満たした。
温室の中で、冷気と血、官能的な光景が交錯し、館の恐怖はさらに深まった。
誰もが次の瞬間に訪れる惨劇を覚悟せざるを得なかった――。
温室から帰った一行は、廊下に立ち尽くしていた。
窓の外では雲ひとつない青空が広がり、鳥の声がのどかに響いている。
それほどまでに清らかな朝であるのに――この館だけが、まるで時間を止められたように冷たく沈黙していた。
「……まさか、またひとり命が奪われるなんて」
カレンが吐息まじりに言った。
「こんな穏やかな朝に、誰が信じるでしょうか」
金剛力松は腕を組み、険しい目で仲間たちを見渡した。
「外は晴れている。だがこの館の中は……まるで地獄だ」
その声には、明確な疑念が混じっていた。
「犯人は――この中にいる」
その言葉が、廊下の空気を一瞬で凍らせた。
晴れた窓の向こうで光が踊る中、誰もが互いを見た。
無言の視線がぶつかり合い、微かな息づかいだけが響く。
「そ、そんな……まさか、私たちの中に……?」
カレンの声はかすれ、銀子が顔を伏せる。
小誤郎は両手を腰に当て、得意げに頷いた。
「つまり、我々はこの館という密室の中に閉じ込められたのです!
推理の舞台は整った!」
「推理って言葉を楽しげに使わないでください!」
カレンが即座に突っ込む。
「でも本当に……誰が、博士を?」
金剛力松が誰にともなく言葉を投げた。
「いや、私は部屋にいた。寝酒を少々……」
男爵はしどろもどろに言い訳をしながら、手に持っていたグラスを揺らした。
「少々って、その瓶もう空ですよ!」
小誤郎が鋭く指摘する。
「ふむ……それはつまり、“深酒”という動機が存在するのでは?」
金剛力松が腕を組み、難しい顔をする。
「動機じゃなくてただの生活習慣よ!」
カレンが叫んだ。
男爵は顔を赤くし、唇を震わせた。
「みんな……私を疑っているのか……?」
沈黙が広がる。
外から差し込む陽光はあまりにも明るく、それがかえって残酷に見えた。
そのとき、銀子が小さな声で口を開く。
「……わたし、夜中に見たんです。
食堂で、何か黒い影が動いていて……。
でも、気のせいかと思って……」
「黒い影?」
カレンが息をのむ。
「そう、闇の中を静かに……。
まるで……幽霊のように……」
小誤郎が勢いよく一歩前に出る。
「出ましたね! 幽霊犯人説!」
「出さなくていい!」
全員の声が重なった。
その場の空気が重く沈む中、澄恵が静かに前へ進んだ。
朝の光が黒いドレスに反射し、彼女の白い肌をほのかに照らす。
風もないのに裾がゆらぎ、彼女はまるで時間そのものから切り離された存在のようだった。
「人は、明るいときほど暗闇を恐れるの。
……心の中にある影が、晴れた日ほど濃く映るのよ」
その言葉に、誰もが息をのんだ。
まるでこの館全体の秘密を見透かしているかのように、彼女は微笑む。
小誤郎はその表情に圧倒されながらも、指を震わせて叫んだ。
「さすがです! あなたの美しさは、もはや心理分析の域!」
「分析じゃなくて観察よ」
澄恵は静かに答える。
「真実は、光の中にこそ潜んでいるの」
カレンが小声で呟く。
「この人……やっぱり普通じゃない……」
男爵が額の汗を拭い、声を震わせた。
「だが……本当に、この中に犯人がいるのか?」
「ええ、そうでしょうね」
澄恵は朝の光を背に立ち、瞳を細める。
「そしてその影は――もうすぐ、次の場所へ動き出すわ」
光のきらめく館の中で、確かに誰もが感じていた。
――晴れた空の下、何かが確実に崩れていく。
美しく静かな朝は、すでに次の“死”の予兆を孕んでいた。
次回予告(第5話最終話)
館の最奥で繰り広げられる、五夜にわたる血と謎の集結。
黒ドレスの美女の沈黙、迷推理探偵の珍説、そして赤いリボンが導く最後の惨劇。
全ての真実が明かされるとき、館に生き残る者は――。
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登場人物紹介
明智 小誤郎
自称名探偵。珍推理が炸裂するが、憎めない主人公。
青井 澄恵
黒いドレスを纏った謎の美女。沈黙のまま館に神秘的な存在感を放つ。
カレン
勝気で行動的な女性。小誤郎の珍推理にツッコミを入れる。
金剛 力松
豪胆で冷静な男。場の均衡を保ち、時に小誤郎を止める役割。
黒川 男爵
館の主人。大仰で芝居がかった言動を好む奇人。
灰田 幸吉
画家。館の空気に不穏な影を落とす不思議な存在。
仮面のピアニスト
舞踏会で演奏を担当する謎の楽師。どこか不穏な雰囲気をまとっている。
白石 博士
神経質な学者。冷静に分析するが、どこか浮世離れした存在感。
銀子
黒川家のメイド。控えめだが館の裏側を知る人物。
古井戸 源次
庭師。館の敷地を管理する穏やかな人物。

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