『土曜ワイルド劇場 明智小誤郎と蒼影(そうえい)の美女、血煙の断末魔!』~第5話・最終話
第5話「蒼影の美女、血煙の断末魔!」
館に夜の帳が下り、霧が低く立ち込める。
ランプの光が廊下の壁に淡く揺れ、影が不気味に伸びている。
朝方の温室での惨劇の余韻が館全体を冷たく包み、住人たちは沈黙の中で次の異変を警戒していた。
「……それにしても、男爵は今夜一度も姿を見せていませんね」
金剛力松が眉をひそめる。
「そういえば……最後に会ったのは昼の食堂の時です。以降、自室にこもっているようです。 4人も人が死んでいる、さすがのあの男爵も気がめいっているのでは...」
カレンも肩をすくめる。
「普段なら夜の巡回や談笑に顔を出すはずなのに……不気味すぎます」
小誤郎は手を顎に当て、思案顔でつぶやく。
「これは……重大な兆候!つまり、事件の予感……いや、もはや事件そのものかもしれませんな!」
金剛力松は決意を固め、男爵の自室へ向かう。
「……確かめるしかあるまい。何かあれば手遅れになる」
廊下の奥で、澄恵が静かに立つ。
黒いドレスがランプの光に微かに反射し、夜の空気に冷たく官能的な気配を漂わせる。
「……何も言わなくても、すべては見える」
金剛力松たちが書斎の前に行くと、メイドの銀子が書斎の扉の前でまるで腰を抜かしたかのように座り込んでいた。金剛力松たちの姿を認めると、口をわななかせ震える手で書斎の扉を指した。「あ...ああ......」あまりの恐怖に声が出ないという風だった。
急いで金剛力松が扉を押し開けると、書斎は乱れ、机の上の書類が散らばり、椅子は倒れていた。
奥に、黒川男爵の体が横たわる。
首には赤いリボンがきつく巻かれ、血の滲みが赤黒く浮かび、顔は苦悶に歪んでいる。
「……こ、これは……!」
金剛力松は後ずさり、息を呑む。
「わ、わたくしが男爵に、うっ、頼まれたウイスキーを、も、も、も、持って扉を開けたら...こっこんな、こんなことに......」 銀子はあまりのショックにまともにしゃべることも出来ない。
カレンも駆けつけ、悲鳴に近い声をあげる。
「……男爵が……首にリボンが……!」
書斎で男爵の死体を目の当たりにした小誤郎は、首に巻かれた赤いリボンと血の滲みに目を凝らす。
ランプの揺らめきで床に映る影がゆらめき、館内に冷たい静寂が漂った。
「……これは……非常に重要な手がかりですな」
小誤郎は額に皺を寄せ、机の乱れや椅子の角度を指差しながら、独り言のように呟く。
「リボンの結び方、血の滲み……ここに犯人の心理と趣味が現れている!」
しかしその時、廊下の奥に静かに立つ澄恵の姿が目に入る。
黒いドレスが微かに光を反射し、肩や背中の曲線が夜の空気に溶けるように浮かぶ。
小誤郎の心拍は跳ね上がる。
「……あの冷たくも官能的な佇まい……まさか……!」
小誤郎は指をさし、身振りを大げさに大きく広げる。
「つ、ついにわかったぞ!犯人は……澄恵さん、あなたです!」
その瞬間、書斎の空気が張り詰めた。
カレンは眉をひそめ、金剛力松は目を見開く。
「……えっ、いきなり!?」
誰もが息を呑み、凍りつくような沈黙が数秒間流れた。
澄恵は微動だにせず、無言のまま小誤郎を見返す。
黒い瞳の奥に揺れる冷たい光。
その冷徹な沈黙が、逆に館全体の緊張を際立たせ、周囲の心拍を早める。
小誤郎は手を胸に当て、さらに必死に証拠を列挙し始める。
「ほら、首の赤いリボン、椅子の倒れ方、机の書類の散乱……すべてが……あ、いや、ま、まさにあなたの仕業に違いないのです!」
カレンは顔をしかめ、呆れた声をあげる。
「ちょっと待って!まだ誰の証拠も確定してないでしょ!」
金剛力松も腕を組みながら、「おい、落ち着け……そんな簡単に決めつけるな」と制する。
小誤郎は汗をぬぐいながら、深呼吸をひとつして言葉を重ねる。
「しかし……考えれば考えるほど、あの冷たい沈黙と美しさ、すべてが計算されているように見えるのです!」
澄恵はただ静かに立ち、黒いドレスの裾を指先でそっと押さえたまま、館内の空気を凍らせるかのように存在している。
その官能的かつ冷徹な姿が、かえって小誤郎の錯覚的推理を強めていく――。
小誤郎は汗をぬぐい、深呼吸をひとつして言葉を重ねる。
「あの冷たくも官能的な沈黙と美しさ、どうしてもすべて計算されているように見えるのです!」
澄恵はただ静かに立ち、黒いドレスの裾をそっと押さえたまま、館内の空気を凍らせるかのように存在していた。
小誤郎は各現場を歩きながら、まるで犯人を探す探偵ごっこのように、あくまで真剣な表情で考え込む。
・庭(第1犠牲者・古井戸):赤いリボンは誰が最初に見つけた?誰の痕跡?
・広間・肖像画前(第2犠牲者・灰田):灰田画伯と絵の前に最後にいたのは誰?絵や周囲に触れた痕跡は?
・舞踏会/楽譜(第3犠牲者):楽譜に最初に触れようとしたのは誰?燃え残りや指紋は誰のもの?
・温室(第4犠牲者・白石):死体を早く発見できたのは誰?氷や温室の痕跡は誰に結びつく?
・書斎(第5犠牲者・黒川):金剛力松より前にいたのは誰?机やリボンは誰と関連?
「あれ……あれれ.........いずれの現場にも最も早く到達できたのは……あのメイドしかいないではないか……!」
小誤郎は突然、指を天に突き上げる。
「メイドの銀子、あの人こそ――」
カレンは呆れ顔で、「……あなた、それ偶然を推理に混ぜただけじゃないですか?」
小誤郎は汗をぬぐい、「偶然も推理のうちです!」と真面目に返す。
小誤郎は手帳を握り、眉間に皺を寄せる。
「……偶然の推理の結果なんですけどね、すべての現場に先回りしていたのは……銀子さん、あなたです!」
その言葉に誰もが一瞬きょとんとしたその時、廊下の奥、影の中からすっと人影が現れる。
黒いメイド服をまとった銀子であった。
彼女は一歩、また一歩と音もなく近づき、冷たい眼差しで一同をゆっくり見渡す。
その視線に射すくめられ、誰も声を出せない。
「……おかしいと思わなかったのですか?」
銀子は低く問いかけた。
「いつも私は館の隅にいて、誰よりも多くを見て、誰よりも多くを知っている。それなのに、ただの従者として見過ごされてきた……」
彼女は微かに口元をゆがめ、手を胸に添えた。
「舞踏会の音楽も、書斎の重苦しい沈黙も……温室の冷気さえも……すべて、私の手の届く範囲の出来事」
一同の間にざわめきが走る。カレンが思わず声を上げかけるが、その前に銀子はかぶせるように言葉を重ねた。
「そう……この惨劇の糸を引いていたのは、他の誰でもない」
彼女は一呼吸おいて、瞳を細める。
「――このわたくし」
重く落ちる言葉に、場の空気が凍りついた。
カレンも金剛力松も、緊張の面持ちで銀子を見つめる。
銀子は深く頷く。
金剛力松が驚きを隠せない声で尋ねた「し、しかし、一体何のために…いったい何の理由があってメイドがそんな......」
「……わたくしの、目的ですか?」
銀子の肩が小刻みに震え、長い沈黙のあと、ようやく口を開いた。
「……わたくしは……ずっと……耐えてきました」
全員の視線が彼女に集中する。
「食堂の長いテーブル……銀のスプーンの音が響くたび、わたくしの心は砕けそうでした。皆さまが――幸せそうに、笑顔で、甘いプリンをすくって口に運ぶ姿……。私はそれをただ見ているだけ。わたくしの前には、いつも……空の皿しか置かれていなかったのです」
嗚咽混じりの声が館の広間にこだまする。
カレンは言葉を失い、力松でさえ拳を震わせた。
銀子は続ける。
「一度でいい……一口でいい……あの黄金の揺らめきを、舌の上で確かめてみたかった! なのに……皆さまは笑って……『銀子はあとでね』と……それきり、わたくしの順番は来なかった!」
涙に濡れた顔で天井を仰ぎ、彼女は叫ぶ。
「それが……どれほどの屈辱かわかりますか!いいえ、分かるはずがありません! 冷たい視線、空の皿、甘美な香りだけが漂う中で……わたくしは一人、取り残され続けたのです!」
場の空気は凍りついた。
あり得ない動機の馬鹿馬鹿しさと、告白のあまりの必死さが、奇妙な緊張感を生んでいた。
「最初に殺したのは……庭師の古井戸源次。あの人、私の冷蔵庫にやっとの思いで隠しておいた“限定マンゴープリン”を勝手に食べたんです……! 証拠隠滅のために“そんなプリンは知らない”としらを切った……だから、だから……許せなかった!」
カレンが絶句する。
「え、そんなことで……!?」
「次に……灰田画伯。
彼は、あの“蒼影の美女”の絵を描くとき……
休憩に差し入れられたプリンを、独り占めして食べていたのです。
『芸術家の脳は糖分が必要なのだ』と笑いながら……
わたくしに一口も与えずに!.........それは決っして許されるものではありません!」
「そして……仮面のピアニスト。
舞踏会の夜……彼は楽屋でプリンを食べておりました。
『喉を潤すには最高だ』などと言いながら、スプーンで軽やかにすくって……!
高貴な食べ物であるプリンを、あの卑しい獣のような男が食べる姿が……わたくしには耐えられなかった!」
「白石博士も……!
彼は食堂でいつも冷蔵庫を勝手に漁り、プリンを見つけると真顔でこう言ったのです。
『おお、これは実験用に最適だ!』と……!
研究のために崇高な食べ物、プリンを無駄にするなど……罪そのもの!」
「そして……黒川男爵。
彼は、いつもわたくしにこう言ったのです。
『プリンは客人のためのものだ、メイドが食べるものではない』……と。
その一言が、わたくしの心を切り裂きました。
だから……あの人は、リボンで縛られて当然の人だったのです……!」
銀子の顔は狂気と悲哀に引き裂かれ、声は次第に熱を帯びていった。
「そう……彼らは皆、わたくしからプリンを奪い去ったのです!
甘美なる幸福を!
わたくしは、ただ一口でいい、一度でいい、あの柔らかな輝きを味わいたかっただけなのに……!
それを誰一人、分けてはくださらなかった!」
力松は唇をかみしめ、重々しい声を漏らす。
「しかし……プリンごときで……五人も……」
銀子は首を振り、声を振り絞った。
「プリン”ごとき”ですって。プリン“ごとき”ではありません! あれは……わたくしにとって……生きる意味そのものだったのです……!」
そして懐から小瓶を取り出し、震える手で蓋を外す。
「でも……もうこれで終わりにします……わたくしの甘美なる渇望も……罪も……」
小誤郎が慌てて駆け寄る。
「待ちなさい銀子さん!プリンなら、いくらでも買ってあげますからっ!」
しかし、その必死の制止もむなしく――銀子は毒を一息に飲み干した。
赤いリボンが首に揺れ、彼女の身体が静かに崩れ落ちる。
目は閉じられ、顔には安らぎにも似た表情が残る。
廊下には冷たい夜霧と、事件を見届けたような静寂だけが漂った。
小誤郎は震える声でつぶやく。
「……ただただ、プリンを食べたかったがための執念……奇跡的推理が……」
銀子が静かに崩れ落ち、館内に死の静寂が漂った後も、澄恵はその場に立ち尽くしていた。
黒いドレスは夜の闇に溶け込み、白磁のような肌は淡い霧に透ける。
彼女の紅い唇が微かに動き、低く呟く。
「真実など、探そうとする者に舞い降りるとは限らない――」
その声は館の冷気に溶け、重厚な木の梁に反響し、低く振動する。
澄恵はゆっくりと一歩後ずさり、床に落ちた銀子の影を踏み越え、廊下を覆う夜霧に足を踏み入れた。
霧は彼女の輪郭を取り囲み、黒いドレスの裾を柔らかく抱き込み、まるで蒼白な霧の一部と化す。
光と影、物質と非物質の境界が曖昧になる中、彼女の存在は徐々に薄れ、空気そのものに浸透していった。
最後に残るのは、微かに漂う香り――冷たく、湿り気を帯び、官能的な透明感を持つ香りだけ。
館に立ち込める夜霧は、まるで彼女の魂が空間の隅々に染み渡ったかのように、静かに揺らいでいる。
誰もその姿を捉えることはできない。
ただ、蒼影の女が夜と霧と空気の交錯する世界に、無限の静謐さと不可思議な存在感を残したことだけが、確かに証明されていた――。
館に漂う夜霧の中、澄恵の姿は完全に消え去った。
蒼影の女が残したのは、冷たく官能的な空気と微かに漂う香りだけ。
カレンが静かに息を吐き、額に手を当てる。
「……結局、彼女は一体、何者だったのかしら……」
金剛力松も肩をすくめ、低く呟く。
「……あの冷たくも官能的な存在は……まるで幻想のようだな」
小誤郎は両手を広げ、目を輝かせて前に進む。
「では、私が推理しましょう!きっと、全ての真相は――」
カレンは冷ややかな視線を向け、ぴしゃりと断言する。
「……もういい、あなたの推理は十分見せてもらったわ」
小誤郎は肩を落とし、無念そうに小さく唸る。
館に残るのは、澄恵の消失と、真面目に見せかけたギャグの余韻だけだった――。
『明智小誤郎と蒼影の美女-完』
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登場人物紹介
明智 小誤郎
自称名探偵。珍推理が炸裂するが、憎めない主人公。
青井 澄恵
黒いドレスを纏った謎の美女。沈黙のまま館に神秘的な存在感を放つ。
カレン
勝気で行動的な女性。小誤郎の珍推理にツッコミを入れる。
金剛 力松
豪胆で冷静な男。場の均衡を保ち、時に小誤郎を止める役割。
黒川 男爵
館の主人。大仰で芝居がかった言動を好む奇人。
灰田 幸吉
画家。館の空気に不穏な影を落とす不思議な存在。
仮面のピアニスト
舞踏会で演奏を担当する謎の楽師。どこか不穏な雰囲気をまとっている。
白石 博士
神経質な学者。冷静に分析するが、どこか浮世離れした存在感。
銀子
黒川家のメイド。控えめだが館の裏側を知る人物。
古井戸 源次
庭師。館の敷地を管理する穏やかな人物。
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次回予告 新たな物語がここに始まる!
『 Kallsson・泉・ピン子は見ちゃった!編 』
�� 『北欧断崖ミステリー』予告 ��
ナレーション:
「遠く北欧の地――
父との再会を夢見て旅立った、Kallsson・泉・ピン子。
しかし、運命はあまりに残酷だった――。
霧深い断崖の湖。そこに広がっていたのは、凄惨な殺人現場。
孤独な目撃者となった彼女の心を、恐怖が締め付ける。
信じていた人々の笑顔は、次第に恐怖に変わり――
誰も知らぬ陰謀が、静かに、確実に、迫っていた…。
父との再会――それは喜びか、悲劇か、そして死か――。
北欧の冷たい霧の中、真実は闇に包まれる。
次回、乞うご期待――」
10月20日(月)ごろ公開予定

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