『土曜ワイルド劇場 明智小誤郎と蒼影(そうえい)の美女、血煙の断末魔!』~第2話

 


2話「笑う肖像画」

霧に包まれた館の広間は、昨夜の悲鳴の余韻に沈んでいた。
窓の外では風が低く唸り、軋む扉の音が館内に長く響く。嵐が近づいていた。
蝋燭の炎は揺れ、壁に掛けられた肖像画の瞳が、まるで生きているかのように光を反射していた。

……人の死とは、文明の仮面をはぎ取る瞬間に他なりませんな」
白石博士が神経質に眼鏡を押し上げ、独り言のように語る。
「死の訪れは、科学の秩序と理性を試すリトマス試験紙のごときもの……。昨夜の出来事は、単なる偶発ではなく、この館そのものが孕む『運命の論理』の発露かもしれない」

黒川男爵はその言葉に、愉快そうに喉を鳴らして笑った。
「は、は、は! さすが博士、学者らしい難解な理屈だ。しかし! わしに言わせれば、この館こそ『恐怖と美』が交わる舞台よ。悲鳴すら、ひとつの芸術的な音色に過ぎん!」

「なるほど……つまり悲鳴も交響曲の一部ということですね!」
明智小誤郎が身を乗り出す。
「ええ、私は昨夜の銀子さんの悲鳴の調べから、すでに三つの仮説を立てております!」

……どんな仮説?」カレンが呆れ顔で問いかける。
「まず第一に、悲鳴が偶然! 第二に、悲鳴が必然! そして第三に――悲鳴が超常的現象である可能性!」
「それ、仮説じゃなくて可能性の羅列でしょう!」カレンが即座に突っ込む。

そのやりとりに、館の空気はさらに歪みを帯びる。
蝋燭の灯が揺らぐたびに、肖像画の瞳がきらりと光を返す。
その瞳が誰かを嘲笑うように見え、誰もが不安げに息を呑んだ。

夜は深まり、館内の廊下はさらに陰鬱さを増す。
木の床はきしみ、奥の部屋からは微かにピアノの音が漏れ、どこか不穏な旋律を奏でていた。

 広間にざわめきが戻る中、灰田幸吉はゆっくりと立ち上がった。
彼の視線は壁に掛けられた一枚の肖像画へと吸い寄せられている。
それは彼自身が描いた、青ざめた女の姿――「蒼影の美女」であった。

……この絵は、夜になると笑うらしいな」
灰田がぽつりと呟く。

その言葉に小誤郎が大げさに振り向き、指を突きつけた。
「見えましたか!? 絵が犯行を示唆している!」
「いやいや、絵に手が生えたわけじゃないでしょ!」とカレンが即座に突っ込む。

笑い混じりの空気が広間に漂ったが、灰田だけは冗談を返さなかった。
彼の眼差しは肖像画に釘付けになったまま、かすかに震えていた。

やがて客たちは舞踏会の支度へと散り、賑わいは徐々に薄れていく。
銀子が無言で部屋に入ってきて、机に並んだ紅茶のカップを一つずつ手際よく片づけ始めた。
彼女の黒いドレスの裾が、まるで影のように床を滑っていく。
蝋燭の光に照らされた横顔は無表情で、ただ淡々とカップを重ねる音だけが広間に響いた。

「銀子さん……」灰田が呼びかける。
だがメイドは答えず、最後のカップを盆にのせると静かに一礼し、廊下の奥へと消えていった。
その背中を見送った瞬間、広間には灰田一人が取り残されていた。




館の奥、静かな湯殿。

青井澄恵は白磁の肌を湯に沈め、長い黒髪を静かに湯面に広げていた。
硝子越しの月光が湯面に反射し、蒼白の肌を柔らかく照らす。
水音だけが静寂を破り、館の騒動とは無縁の世界を支配していた。

……この静けさも、ほんの束の間」
彼女の独り言は低く響き、誰も届かぬ場所で漂う。




――沈黙。

微かに漂う絵具の匂い、床にこぼれた蜡燭の油、そして肖像画の視線。

灰田は自らが書いたその「蒼影の美女」の前で立ちすくみ、首をかしげた。
微かな笑い声のようなものが耳元をかすめ、背筋が凍る。
振り返っても広間には誰もおらず、蝋燭の炎が揺らめく影だけが奇怪に動いていた。




 ――その時。

広間の扉が、音もなく、ゆっくりと開いた。
隙間から忍び込む冷気とともに、黒い影がすべり込んでくる。
その手には、月光に照らされてなお紅く妖しく輝く、一本のリボン。

灰田は気づかない。
彼はまだ肖像画に見入ったまま、絵の唇がかすかに笑んだように見えたことへ震えていた。

黒い影は、音ひとつ立てずに背後へと近づく。
リボンがするすると伸び、灰田の首筋へ冷たく触れた。

……え?」

その小さな声が出た瞬間、リボンは鋭く締め上げられる。
灰田の目が大きく見開かれ、手が宙をかきむしる。
呻き声は喉に詰まり、蝋燭の灯だけが無情に揺らめいた。

影はひと息に力を込め、灰田の身体は椅子ごと倒れ込む。
乾いた衝撃音が広間に響き、その後には再び、不気味な静寂だけが残った。

 

音を聞きつけ最初に駆け付けたのは明智小誤郎だった。
「こ、これは……!」
小誤郎が慌てて駆け寄り、手を震わせながら叫ぶ。
「灰田さんが……またリボンで……!」

白石博士が息を切らして駆け寄り、カレンも目を見開く。
物音を聞きつけて、館内の他の客たちも広間へ駆け戻ってきた。

黒川男爵は目を見開き、手を振る。
「な、なんということだ!」

「もう限界です! 警察に連絡しましょう!」
カレンが声を荒げる。
白石博士も頷き、「この状況では専門の捜査が必要だ!」と叫んだ。
金剛力松は「電話室へ走ります!」と立ち上がろうとする。

その言葉に、明智小誤郎が胸を張って割り込んだ。
「専門の捜査――ならば正に私の分野です!」
シルクハットを直し、得意満面で言い放つ。

 

しかし――男爵の声が鋭く響いた。
「待て! 警察など呼んではならん!」

一同は呆気に取られる。
男爵は顔を蒼ざめさせながらも、芝居がかった大仰な動きでマントを翻した。
「この館はわしの舞台だ! 恐怖と美の饗宴は外の凡俗に乱されてはならぬ!
 それに……警察など呼んだところで、この館に巣食う闇は解けはせん!」

「そんなこと言ってる場合ですか!」とカレンが叫ぶ。
だが男爵の頑なな態度に、誰もが言葉を失い、広間に重苦しい沈黙が落ちた。

その時、いつの間にか窓辺に青井澄恵が月光を背に静かに佇んでいた。
その冷たくも美しい姿は、館の混沌を一瞬だけ凍らせた。
そして彼女は低く、静かに呟いた。
……また、始まったのですね。」

館内は、深い静寂と不穏に包まれたまま、次なる事件の予兆を漂わせるのだった。



次回予告

――次なる舞台は、館で開かれる仮面舞踏会。
赤いマスク、血のようなカクテル、そして不気味な音楽。
「犯人はピアノ!」と小誤郎が叫ぶとき、館はさらなる混沌に飲み込まれる――


 登場人物紹介

明智 小誤郎
自称名探偵。珍推理が炸裂するが、憎めない主人公。

青井 澄恵
黒いドレスを纏った謎の美女。沈黙のまま館に神秘的な存在感を放つ。

カレン
勝気で行動的な女性。小誤郎の珍推理にツッコミを入れる。

金剛 力松
豪胆で冷静な男。場の均衡を保ち、時に小誤郎を止める役割。

黒川 男爵
館の主人。大仰で芝居がかった言動を好む奇人。

灰田 幸吉
画家。館の空気に不穏な影を落とす不思議な存在。

仮面のピアニスト
舞踏会で演奏を担当する謎の楽師。どこか不穏な雰囲気をまとっている。

白石 博士
神経質な学者。冷静に分析するが、どこか浮世離れした存在感。

銀子
黒川家のメイド。控えめだが館の裏側を知る人物。

古井戸 源次
庭師。館の敷地を管理する穏やかな人物。

 

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