『土曜ワイルド劇場 明智小誤郎と蒼影(そうえい)の美女、血煙の断末魔!』~第3話

 


3話「惨劇の舞踏会」

館の大広間は仮面舞踏会のために煌びやかに飾られていた。
シャンデリアの光は宝石のように輝くはずだったが、なぜか血の色を帯びて赤く反射し、床に長い影を落としている。
奏でられるワルツは華やかでありながらも、どこか冷たい不協和音を含んでいた。

「これは……死と舞う夜会ですな」
白石博士が神経質に眼鏡を押し上げる。

「いえいえ、舞うのはまず私と!」
小誤郎が胸を張ってカレンに手を差し出す。

「私は犯人を探すので手一杯よ!」
カレンが即座に払いのけ、場を白けさせた。

黒川男爵はグラスを掲げ、誇らしげに声を張る。
「恐怖と美の交響曲よ! 皆の者、仮面の下に潜む真実をさらせ!」

……それをしたら舞踏会が終わっちゃいますけど」
カレンが突っ込み、会場に小さな笑いが起こる。


その輪の中で、ひときわ目を引く存在があった。
そう、青井澄恵。
黒いドレスに身を包み、背を大胆に露わにして仮面の下から舞踏会を見渡す。
シャンデリアに照らされたその姿は、妖艶でありながらも冷たい沈黙をまとい、誰もが目を奪われた。

彼女の唇が微かに動く。
……夜は、まだ終わらない」


ワルツはまず、床を滑るように規則正しく流れていた。弦の柔らかな震えが会場を包み、ヴァイオリンの旋律が微笑と足踏みを誘う。踊る足元の影がリズムに合わせて揺れ、シャンデリアの光もそれに応じて瞬く──はずだった。

だが、ほんのわずかな違和感が、音の縁に生まれた。ピアニストの左手が、いつもの均整を欠き、和音のひとつをやや遅れて置く。右手は一瞬、伸ばすべき高さへと届かず、メロディが宙に浮く。会場のざわめきはまだ小さく、誰も気に留めるほどではなかったが、そのずれは次第に輪郭を持ち始める。



じわりとテンポが揺らぐ。拍子の腰がフラつき、三拍子の円が微妙に楕円へと歪む。足取りが一瞬引っかかるように、旋律が途切れ、すぐに補填される。だが補填は雑で、和声がぶつかり合って金属質の角を立てる。舞踏の足音が一つ、また一つとずれて聞こえ、踊り手たちの表情にも戸惑いの影が走る。

ピアノの音色が、次第に人間の声のようなものを帯び始めた。長く伸ばすべき音は短く切れ、続くはずの和音が切り離されてぽつりぽつりと落ちる。ペダルが重たく沈むたびに、響きが濁って床に滲む。鍵盤の上で爪先を押し続けるような、息の詰まる断片が重なる。

そして、かすかな「カッ」という機械音のようなものが混ざる。ハンマーが弦に当たる瞬間、弦が期待通りには共鳴せず、むしろ薄い残響だけを返す。音の輪郭は崩れ、代わりに不規則な歪みが立ち上る。例えるなら、きれいに整った織物が、誰かの指先で引き裂かれていくような音だった。

そのうちに、鍵盤を叩く手が小さく震え始めるのが見えた。最初は指先の微かなふるえに過ぎなかったが、音列は次第にかすれ、切れ、短いスタッカートの連打へと変わる。旋律の流れは途切れ途切れになり、耳に残るのは途切れたフレーズと、空気を震わせる吸い込む音”──ピアニストの呼吸だった。呼吸は曲の表情を構成するはずの一部ではなく、明らかに苦しげで浅かった。

会場の人々は無意識のうちに音に耳をすませる。誰かが「演出か」と小声で囁き、別の者は「鍵盤の調子か」とぼやく。だが囁きは次第に消え、代わりにピアニストの右手が急に速いパッセージを叩き出す。速さは無理にねじ込まれたもので、音はまとまらず断片として飛び散る。拍の縫い目がはずれ、やがて一度、音が抜けるように何も出なくなる。

その静寂が、最も不気味だった。旋律の途中、突然すべてが止まり、残響だけが長く床を這った。人々の間で息が詰まり、蝋燭の炎までが寄り添うように縮こまる。次の瞬間、わずかに紙がめくれる音がし、譜面が一枚ぴたりと止まったまま、空気の流れの中で震えている。

ピアニストの肩が大きく震えた。片方の手はまだ鍵盤の上にあるが、指先は動きを失い、次の音を押し上げられない。喉のところから、かすかな嗚咽が漏れ、音符に乗るはずの息が消えかける。誰かが叫び声を上げる前に、ピアニストはゆっくりと前へ崩れ落ちた──鍵盤の上に伏せるように、そしてそこで静止した。


「ひっ……!」
客の一人が悲鳴をあげる。
仮面がずれ、苦悶に歪んだ顔が露わになった。
首には赤いリボンが固く巻き付けられ、肌に深く痕を残している。
白いシャツの襟もとには赤黒い跡が滲み、蝋燭の炎がその無惨を照らした。

譜面台には一枚の楽譜。
そこには血のような赤文字で題が書かれていた。

『断末魔ソナタ』


「出ましたね……犯行声明!」
小誤郎が人差し指を天に突き上げる。

「わかったぞ!犯人はピアノ!つまり自動演奏ピアノの逆襲だ!」

会場が凍りつく。

……いや、それホラー映画でもやらないから」
カレンが思わず突っ込みを入れる。

「でも見えませんか?蓋がガバッと閉じてガシャンと……
小誤郎が必死に身振り手振りで説明する。

「それ、ピアニストが挟まって死ぬ事故でしょ!」
白石博士が声を上げた。

黒川男爵は顎に手を当てて深刻そうに頷く。
……機械の反逆、ありうるな」

「賛同するなーっ!」
カレンの怒声が響き、場は混沌に陥った。


その混乱の中、青井澄恵が音もなく前へ進み出る。
黒いドレスを翻し、彼女は「断末魔ソナタ」をすでに歩み出ていたメイドの銀子より先に手に取ると、蝋燭の炎にかざした。

ぱちぱちと音を立て、楽譜はたちまち燃え上がる。
赤い炎は彼女の白い指を妖しく照らし、仮面の奥の瞳に怪しい光を宿す。

燃え尽きた灰が床に舞い落ちても、彼女は沈黙のまま佇んでいた。
その姿は、美と恐怖の象徴そのもので、誰も近づくことを許さなかった。


床に伏したピアニストの亡骸を囲み、
一同は静まり返っていた。
燃え残った灰が空気の流れに舞い、赤いリボンが微かに揺れる。
その場にいる全員が、目の前の現実をまだ受け止めきれずにいた。

……警察に連絡を」
カレンが言うと、男爵が眉をひそめた。
「ふむ、だがこの館の電話線は嵐の影響で切れておる。どのプロバイダーとも契約しておらんからスマホも使えんぞ外もぬかるんでおるし、馬車は出せん」

「電話が通じないスマホが使えない馬車はって……いつの時代ですか!」
カレンが思わず叫ぶと、白石博士が小声で呟いた。
推理小説という性質上そういう設定なってしまうのですこの館では、時代が止まっているので……

もうやめて、そういう文学的なコメントいらない!」
カレンが即座に突っ込みを入れるが、
空気の冷たさはもう冗談を吸い取っていた。

小誤郎は腕を組み、床を行ったり来たりしていた。
「赤いリボン、ピアノ、そして断末魔ソナタ”……
ふむ。これはつまり、芸術が人を殺す事件だ!」

「さっきから何度もそれ言ってる!」
カレンが机を叩く。
「証拠とか、目撃者とか、ちゃんとした推理をして!」

「もちろんだ。証拠は……この手にある!」
小誤郎は勢いよく自分のポケットから何かを取り出す。
それは――プリンが入っていたカップ割れたふただった。

……それ、さっき食堂で落としたやつじゃ?」
金剛力松が冷静に指摘する。
「おのれ、些末なことを……! だが事件とは、些末の積み重ねでできているのだ!」

「その通りです、小誤郎さん!」
何故か感動した男爵が拍手を送る。

「賛同するなーっ!」
カレンの怒声が再び響き渡った。

――そのとき、澄恵がゆっくりと立ち上がる。
黒いドレスの裾が床を擦り、かすかな音を立てる。
「あなたたち……音の狂いを、聴いていたかしら?」

「音の狂い?」
白石博士が目を細める。

「最初の違和感……ピアノは、最初から乱れていたわ。
まるで、誰かが終わりを知っていたように」

澄恵は言葉を落とすたびに、
ゆっくりと赤い蝋燭の炎を指先でなぞった。
熱で肌がわずかに白く光る。

「音楽は、魂を映す鏡。
狂った音を奏でたのが、彼自身ではないなら……
この館の誰かが、彼の代わりにその音を弾かせたのよ」

……どういう意味だ?」
カレンが問う。

澄恵は答えず、静かに微笑む。
そして、燃え残った灰の上に視線を落とし、囁く。

「夜はまだ終わらない。
この音楽が、本当に止まるのは――
次の死が訪れる時」

その声はかすかに震えながらも、どこか快楽的な響きを帯びていた。
炎の中で、彼女の黒い瞳が一瞬だけ紅く光る。

外では嵐が再び鳴りはじめた。
雨粒が窓を叩き、風が館の扉を揺らす。
――夜は、まだ、終わらない。

 

次回予告

館の温室に忍び寄る恐怖――凍りついた死体が発見され、空気は凍りついたように張り詰める。
迷推理探偵は珍説を連発し、場は混乱の極みに。
黒ドレスの美女は氷の花に触れ、冷ややかに真実を示唆する。
氷と死、そして血煙が織り成す恐怖の舞台。果たして、誰が生き延びるのか――!?


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登場人物紹介

明智 小誤郎
自称名探偵。珍推理が炸裂するが、憎めない主人公。

青井 澄恵
黒いドレスを纏った謎の美女。沈黙のまま館に神秘的な存在感を放つ。

カレン
勝気で行動的な女性。小誤郎の珍推理にツッコミを入れる。

金剛 力松
豪胆で冷静な男。場の均衡を保ち、時に小誤郎を止める役割。

黒川 男爵
館の主人。大仰で芝居がかった言動を好む奇人。

灰田 幸吉
画家。館の空気に不穏な影を落とす不思議な存在。

仮面のピアニスト
舞踏会で演奏を担当する謎の楽師。どこか不穏な雰囲気をまとっている。

白石 博士
神経質な学者。冷静に分析するが、どこか浮世離れした存在感。

銀子
黒川家のメイド。控えめだが館の裏側を知る人物。

古井戸 源次
庭師。館の敷地を管理する穏やかな人物。


 

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