『Kallsson 泉 ピン子は見ちゃった! 〜層雲峡・熊の皮をかぶった殺意〜』第1話
登場人物紹介
Kallsson・泉 ピン子 スウェーデンからの帰国後、母に連れられて北海道・層雲峡の温泉旅館へ向かう物語の主人公。物静かな性格。
泉 しげ子 ピン子の母。奔放で思い立ったら即行動の派手な女性で、娘を連れ出し「事件」に遭遇することを期待している。
野々村 絹代 層雲峡温泉「熊乃湯」の女将。落ち着いた所作を持つが、その瞳の奥には何か静かな暗い波を秘めている。
木村「熊乃湯」に勤める板前。腕は立つが、気難しいと言われる。
小暮 忠志 旅館に宿泊している登山ガイドの男性。日に焼けた顔に風の跡のような皺を持つ。
高梨 祐介 旅館に宿泊しているフリーのカメラマンの男性。冬の雪景色を撮影するため宿を訪れた。
田所 トメ子 ピン子の隣人であり友人。メッセージアプリを通じてピン子の状況を知る。
山崎巡査部長 事件発生後、旅館に駆けつけた層雲峡駐在所の警官。
仲居(女中・春江など)旅館「熊乃湯」の従業員。宿泊客への案内や給仕を担当する。
帳場で見かけた謎の男性 旅館の帳場付近でたびたび見かけられる30代くらいの物静かな男性。
第1話 帰国、そして母の暴走
(羽田空港〜旭川行き機内まで)
白い息が、到着ロビーのガラス越しに滲む。
ストックホルムからの便が着陸した羽田空港。
冬の午後の光が、ターミナルの床に冷たく反射している。
Kallsson・泉 ピン子は、スーツケースのハンドルを握りしめ、ゆっくりと歩いていた。
長いフライトの疲れが、まだ身体のどこかに残っている。
だが、心の中には少しの安堵もあった。
父・クリスティアンと再会した北欧の旅。
静寂と雪に包まれたあの湖畔の日々が、遠い夢のように思えた。
「……さあ、日本に戻ったわけだし、これからは静かに——」
そう呟いたその瞬間だった。
「ピ〜〜〜〜ン子ぉぉぉっっ!!」
ロビーの向こうから、冬の空気を震わせるような声が響いた。
ピン子が顔を上げると、そこには真紅のマフラーをたなびかせ、両手を振る女性の姿があった。
帽子には派手なフェザー飾り、コートは豹柄。
周囲の通行人が思わず振り返るほどの派手さ。
——母、泉しげ子である。
「やだぁ〜ピン子!ほんとにピン子じゃないの!あんた、また背ぇ伸びた?」
「母さん……私、三十代半ばよ。もう伸びない」
「そういうとこが父親似ね。理屈っぽいんだから」
ピン子はため息をつく。
だがその目尻には、わずかに微笑の気配もあった。
どれほど奔放でも、この人が母なのだ。
幼いころから、母は常に“前のめり”で生きてきた。
しげ子は空港のカートにピン子のスーツケースを積みながら、まるで自分が空港職員のようにずんずん進む。
「さぁ、行くわよ」
「え、どこへ?」
「決まってるじゃないの。北海道よ!」
「……え?」
ピン子の足が止まる。
「ちょ、ちょっと待って。今、なんて?」
「だから層雲峡。温泉!雪見風呂!ほら、ピン子疲れてるでしょ?温泉入って、心の垢も流しましょ!」
「母さん、それ今決めたでしょ」
「もちろんよ!思い立ったが吉日、人生は即断即決よ!」
しげ子は携帯の画面をピン子に見せつける。
そこには「層雲峡温泉・熊乃湯」の予約完了画面。
「え、ちょっと、予約してある!?」
「したわよ。あんたが着陸する前に!」
「どういう行動力なの……」
「だって、あんた、スウェーデンでお父さんに会ったんでしょ?じゃあ次は母親孝行の番よ!」
ピン子は額を押さえ、静かに深呼吸をした。
母の中では、どうやら“事前相談”という概念は存在しないらしい。
呆れながら、彼女はスマホを取り出した。
画面を開くと、メッセージアプリが光る。
田所トメ子——我が家の隣人であり友人。
ピン子は指を動かしながら、空港の喧噪の中でひとりごちた。
【ピン子】ただいま帰国。無事帰還。
【トメ子】おかえり! 北欧どうだった? おしゃれ凍死とかしてない?
【ピン子】凍死より怖いことが起きた。
【トメ子】なに。
【ピン子】母が空港で待ち伏せしてた。これから北海道連行。
【トメ子】え、今? どういうこと?
【ピン子】層雲峡温泉行くって。航空券すでに取ってあるらしい。
【トメ子】え、拉致じゃん。
【ピン子】でしょ。
【トメ子】何その展開、火曜サスペンスの導入?
【ピン子】本人がそう言ってる。「事件は雪の中が似合う」とか言ってる。
【トメ子】……お母さん、最高に元気そうで何より。
【ピン子】もうだめ。税関に向かわないと。
スマホを閉じると、しげ子が手を振っていた。
「ピン子、こっちこっち! 保安検査こっちよ! 荷物軽くしておいてね!」
この勢いは、どんな航空規制より強い。
羽田空港第2ターミナル・出発ゲート前
出発ロビーには、しげ子の荷物が山のように積まれている。
手には旅行雑誌、口には肉まん。
「お母さん……まさか手荷物それ全部機内に?」
「ええ、機内食信用できないじゃない。現地で事件が起きても食料は確保しておかないと」
「……事件が起きる前提なの!?」
周囲の視線が突き刺さる。
しかししげ子はどこ吹く風。
「ねぇピン子。やっぱり“事件”って、雪の中が似合うのよ。血の赤が映えるじゃない?」
「母さん、それ普通の観光客が言うことじゃない」
ピン子は心の中で思う。
——母は、人生をドラマとしてしか捉えられない人だ。
悲劇も喜劇も、自分が主役。
彼女にとって現実は、いつも“演出の途中”なのだ。
機内・羽田→旭川便
飛行機が離陸する。
窓の外に東京湾の夜景が広がり、やがて白い雲の中へと滑り込む。
ピン子は読書を始めようとするが、隣の母は落ち着かない。
しげ子はキャビンアテンダントに話しかけたり、隣席の乗客に北海道の観光情報を聞いたりしている。
「旭川ってさ、クマ出るのかしら?」
「……母さん、CAさん困ってる」
「いいのよ、聞いてるだけ。ねぇ、出ます?クマ」
「え、えぇ……まぁ、山の方には……」
ピン子はシートに深く沈み、空を見つめた。
父との再会で得た静けさが、母の登場であっさりと吹き飛んでいく。
だが、どこかで感じていた。
この予測不能な母がいなければ、人生はきっと味気ないだろうと。
しげ子が窓の外を見つめながら、ぽつりと呟く。
「ピン子。雪ってさ、人の心を真っ白にするのよ」
「……母さんが言うと、説得力ない」
「ふふっ。でも、なんか胸騒ぎするの。
——北の温泉で、何かが起きそうな気がするのよねぇ」
その言葉に、ピン子は目を閉じた。
“何かが起きそうな気がする”——それはこの母の口癖だった。
そして、たいてい本当に“何か”が起きるのだ。
ナレーション(低く、静かに)
空を渡る母娘。
その胸のうちにあるのは、偶然か、それとも運命の導きか。
北の大地が待ち受けるのは、湯けむりか、血煙か——。
弦楽がゆっくりとフェードイン。
旭川空港の雪景色が窓の外に広がる。
飛行機は旭川の空に静かに降り、窓越しに見える冬の大地は、映画のワンカットのように凍りついていた。外気は刃物のように冷たく、足下から伝う寒さが、ピン子の肩を思わず丸めさせる。隣でしげ子が鼻歌混じりに手袋を外し、空港の冷気を満喫している。
「ほら、見てごらん。雪って、肌がピリッとするからいいのよ。目が覚める」
母の声は陽気で、どこか旅の演出を楽しんでいる。ピン子はその顔を見て、幼いころに母が舞台の大道具を背負って戻ってきた日のことを思い出す。あのときも、しげ子は人の視線をまるで演奏者が歓声を待つように浴びるのを好んだ。
レンタカーのキーを受け取り、外へ出ると風が口の中を冷たく叩いた。雪はしんしんと降り続け、車のフロントガラスに細かな模様を描いていく。道は所々黒く凍り、見慣れた都会の路とはまるで別の時間が流れているようだった。しげ子はラジオを軽やかに回し、道中の温泉情報や観光案内をつまみ喋りにする。だがその口調に、どこか期待めいたものが混じっている。ピン子はそれを“何かが起きる予感”と名付けた。
車は旭川の町を抜け、山へ向かって細くなっていく。道端の木々は雪を被り、枝先から雪が落ちるたびに小さな音がする。しげ子は助手席の袋から次々取り出した小物を車内に散らし、熱心に旅の“備品”をチェックする。カイロ、携帯用湯たんぽ、小瓶入りのポン酢、そして大量の熊のキーホルダー。どれもこだわりの品であるらしく、彼女はそれを選ぶ目が真剣そのものだ。
「ピン子、旅ってね、まず準備から楽しまないといけないのよ。事件も準備が大事」
ピン子は苦笑しながらも、母のその真剣さが嫌いではないと気づく。しげ子にとって、人生は舞台であり、演出であり、そして彼女自身が脚本家なのだ。
山道の終盤、雪の壁が高くそびえ、車のヘッドライトが柔らかな白を切り裂いた。層雲峡温泉の看板が雪の中にぼんやりと浮かび上がり、ほどなくして古風な旅館の灯りが見えた。木造の外観は雪の重みでさらに存在感を増している。入口に掲げられた木の看板には堂々と「熊乃湯」の文字。文字の周りに刻まれた意匠は、年月の味わいを醸し出し、どこか神話めいた佇まいを放っている。
「ほらピン子、見て!あれよ、熊乃湯!看板に熊の絵が描いてあるじゃない!」
「母さん、そんなにスピード出さないで。道、凍ってるから……!」
「だいじょ〜ぶよ、私、若いころ車で富士山の五合目まで登った女よ!」
「登ったんじゃなくて、滑り落ちたって言ってたでしょ」
ハンドルを握る母の横顔は、雪明かりに照らされている。
唇は紅を引きすぎるほどに赤く、目尻には長年の“冒険”が刻まれていた。
ピン子は、シートベルトを握る手に力を込めた。
【熊乃湯・玄関】
旅館の佇まいは、古い木の骨組みがしっかりと息をしているようだった。
二階の窓からは湯気が立ちのぼり、風が吹くたび、かすかに硫黄の香りが漂う。
「……趣、あるわね」
ピン子が言うと、しげ子は得意げにうなずく。
「でしょ?やっぱり“事件”はこういう古い旅館じゃなきゃ!」
「母さん、お願いだから、“事件”って言わないで」
玄関の戸が音を立てて開く。
中から、控えめな女中が現れた。
「遠路お疲れさまでございます。ご予約の泉さまですね?」
「そうよ。私、母のしげ子。そしてこっちがピン子。Kallsson 泉・ピン子っていうの。スウェーデンとのハーフよ」
「母さん……言わなくていいの」
女中が目を丸くした。
「まぁ……おきれいな方。お母さまもとてもお若くて……」
「うふふ。若作りだけは才能なの」
ピン子は再びため息をついた。
ロビーに一歩足を踏み入れると、ふわりと温かい空気が頬を包んだ。
囲炉裏に薪がくべられ、火の粉が小さくはぜる。
その奥に、大きな熊の剥製が立っていた。
眼光は鋭く、まるで訪問者を選別しているかのようだった。
そして、その剥製の脇に——
着物姿の女将、野々村絹代が立っていた。
「ようこそおいでくださいました。熊乃湯の野々村でございます」
その声は落ち着いていて、どこか湿りを帯びていた。
年の頃は六十前後。白髪がわずかに混じる髪をきれいに結い上げ、
その所作には“生きる年輪”のような静かな力があった。
だがピン子は一瞬、その瞳の奥に、
目に見えぬ暗い波を感じた。
「雪の中を大変でしたでしょう。今夜はゆっくりお休みくださいませ」
「まぁ、なんて素敵な宿。お料理も美味しいんでしょうねぇ」
しげ子が嬉しそうに言う。
絹代は柔らかく笑いながら答えた。
「ええ。うちの板前は、このあたりでは腕が立つと評判です。……ただ、少し気難しいところがございますが」
その言葉に、ピン子の目が動いた。
“気難しい板前”。
まだ姿を見ぬその人物に、ほんのわずかな緊張が走る。
「お食事は、当館自慢の食事処『雪見庵』にて6時30分からご用意しております」
絹代が頭を下げたとき、
背後の帳場の陰から一瞬、誰かの視線を感じた。
若い男。
年の頃は三十代半ば、髪はきっちり撫でつけ、スーツの襟が妙に正しい。
宿の従業員というより、どこか“監視者”のような雰囲気だった。
ピン子がちらりと見たとき、その男はすぐに目を逸らした。
「……今の人、従業員かしら?」
「さぁ、何かあったのかしらね」
しげ子はあっけらかんと答えるが、ピン子の胸の中では、小さな不安が芽吹いていた。
案内された部屋は二階の端。
窓の外には銀世界が広がり、遠くから滝の音のような水の音が聞こえる。
「流星の滝、だそうですよ」
案内の女中が微笑む。
「この宿からも少し見えるんです。夜になると、月明かりに照らされて、まるで銀河のようで……」
「まぁ、ロマンチックねぇ!」
「母さん、そんなに窓開けたら寒いって」
風が入り、部屋の灯が小さく揺れた。
どこかで柱がきしみ、建物が古い息を漏らした。
その夜、
しげ子は布団の中で寝転びながら、旅館のパンフレットを眺めている。
「ねぇピン子、見て。熊乃湯って創業百二十年なんだって」
「へぇ……」
「ほら、ほら、ここ。“名物・ユキちゃんの熊まんじゅう”。可愛いじゃない」
「ユキちゃん?」
「うん、昔、この宿にいた飼い熊の名前なんだって。写真もあるわよ。あら、これ女将さん、若いころ?」
ページには、若き日の絹代が、白い熊と並んで笑っている姿が載っていた。
その笑顔は清らかだが、どこか痛ましい。
ピン子はその写真に指先を触れた。
「……熊と女将。なんか、妙な組み合わせね」
「ピン子、あんた、何か感じるの?」
「感じるって?」
「母の勘よ。あの女将さん、何か抱えてるわ」
「母さん……勝手にドラマ作らないで」
だがピン子自身も、
あの女将の“笑わない笑顔”が、頭から離れなかった。
部屋の外で、廊下の板が軋む音がした。
誰かが通った気配。
足音は一瞬止まり、そしてすぐに遠ざかる。
ピン子が障子越しに目を向けたが、
そこにはもう誰の影もなかった。
窓の外では雪が静かに降り続け、
滝の音が少しずつ強くなっていく。
ナレーション(低く、静かに)
北の宿に流れる音は、風か、それとも人の声か。
眠りを誘う湯けむりの下で、
誰かの心が、すでに動き始めていた——。
エンディングテーマ「哀しみの白い道」(ゆっくりと流れる)
次回予告(ナレーション調)
次回、第2話。
夜の露天風呂に、ひとつの悲鳴が響く。
熊の影が揺れ、母・しげ子の好奇心が暴走する。
そして、ピン子が“見てしまった”ものとは——。
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